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少年隊 1 (略歴)



少年隊

少年隊(しょうねんたい)とは、ジャニーズ事務所に所属する日本の3人組男性グループである。リーダーは錦織一清(東山は、少年隊夢という番組内のみでのリーダーだった)。3人の中で結婚しているメンバーは植草克秀のみである。

グループの愛称は「ショーネン」(発音的には“笑点”のイントネーション)。

メンバー

錦織一清(にしきおり かずきよ、1965年5月22日 - )愛称は、ファンからは「ニッキ」、メンバーからは「ニシキ」。

植草克秀(うえくさ かつひで、1966年7月24日 - )愛称は「カッちゃん」。

東山紀之(ひがしやま のりゆき、1966年9月30日 - )愛称は「ヒガシ」。

来歴

もともとは彼等を含み、当時まだ20~30人しか居なかったジャニーズJr.を総して「少年隊」と言っていたが、1981年10月6日からテレビ東京で始まった『ザ・ヤングベストテン』という番組のスタートに合わせ、錦織・植草・松原の3名で結成されたグループ「Bチーム」が、後に「ジャニーズ少年隊」(後述)になった。 翌1982年、松原から東山にメンバーチェンジをし、現在のメンバーとなる。

グループ結成当初は、田原俊彦、近藤真彦のバックダンサーとして、歌番組やコンサートへ出演していた。また、1982年6月にはレコードデビュー前であるにも関わらず、当時歌謡番組の雄として知られていたフジテレビ「夜のヒットスタジオ」にも単独のアーティストとして初出演、ジャニーズの先輩に当るフォーリーブスの往時の代表作『ブルドック』を披露し、事務所側の期待が高いことが示されるとともに、視聴者の注目も早くから受けるようになった(これ以降、夜ヒットには1985年9月の『サクセス・ストリート』まで、レコードデビューまでの間に既に10回前後単独のアーティストとしての出演実績がある)。

1982年11月、「ハワイ音楽祭」で金賞を受賞。

1984年4月2日、郵便貯金ホールにて単独ファースト・コンサートを行い、1日5回公演を行なった。また、この頃から親衛隊によるステージ用の応援コールも作られた。

「ニッキ・カッちゃん・ヒガシくん、ニッキ・カッちゃん・ヒガシくん、ジャニーズ少年隊!」(「ジャニーズ少年隊」時代)

「ニッキ・カッちゃん・ヒガシくん、ニッキ・カッちゃん・ヒガシくん、ソーレソレソレ少年隊!」(「少年隊」へ改名後)

同年5月、ビデオ『少年隊』を発売。その後、同ビデオ収録曲「あなたに今、Good-bye」で、歌番組へ多数出演する。

その後、テレビ・コンサート活動などを経て、1985年12月12日、『仮面舞踏会』でレコードデビュー。
1987年、「ブロマイド」年間売上成績が第1位になる。

デビューの翌年1986年より、毎年夏に上演し続けているオリジナルミュージカル『PLAYZONE(通称:プレゾン、PZ)』が、2005年の夏で20年、2007年(22年目)の夏で通算上演回数900回を迎えた。尚、19年目の2004年には、一度だけオリジナル以外の作品『ウェストサイドストーリー』を上演している。しかしこの作品は、PLAYZONEシリーズの恒例であるCD化・映像化がなされておらず、幻の作品となっている。この作品は、版権問題が非常に厳しく、上演する際に、非常に厳しい規定が設けられており、宝塚歌劇団も同作品を公演しているが、一切映像化は行なわれていない。 また、2007年公演の『PLAYZONE2007 Change2Chance』も、共演者だった赤坂晃が覚醒剤で現行犯逮捕された事により、DVD化が急遽中止となってしまった。

近年、グループとして3人揃った活動は『PLAYZONE』以外でみることは少なくなり、ソロでの活動が中心となっている。


ジャニーズ少年隊 (前身)

ジャニーズ少年隊とは少年隊の前身グループで、主に田原俊彦のバックダンサーを務めていた。

1981年10月6日からテレビ東京で始まった『ザ・ヤングベストテン』という番組のスタートに合わせ、錦織・植草・松原の3名で結成された。 当時はまだ「ジャニーズ少年隊」という名前が無く、「Bチーム」というグループ名で呼ばれていた。そしてそれに対する「Aチーム」の方は、後のシブがき隊だった。
1982年4月17日公開のひかる一平主演の映画『胸さわぎの放課後』に出演。この時だけ、鈴木則行も参加していた。

1982年の春から、松原がTBSドラマ『3年B組貫八先生』への出演が決まって忙しくなった為、それまで“髪の毛が短すぎる”事を理由にメンバー入りを見送られてきた東山紀之と交替となった。

メンバー

少年隊
錦織一清
植草克秀
東山紀之 (1982年4月1日から松原と交替で加入)
事務所退社
松原康行
(結成メンバー。愛称・やっちゃん。)
鈴木則行
(愛称・ノリくん。 映画『胸さわぎの放課後』出演時に参加したメンバー。後にジャPAニーズ・ジュニアのリーダーになり、日本テレビ開局30周年記念ミュージカル・ドラマ『夏の王様』(1982年10月6日放送)にも、ウィズの子どもたち役で出演した。事務所を退社後は演出家に転身し、ダンカンやグレート義太夫らが主宰する劇団「東京サギまがい」の第3回公演『ラブピース』(1998年12月)&第6回公演『ジャイアント馬場のフォークギター』(2001年3月)、ブッチャーブラザーズのぶっちゃあがプロデュースするサンミュージック企画の劇団「笑主義!?(わらいしゅぎ)」の公演『メラメラ★メランコリー』(2001年6月26日、なかの芸術小劇場)&『笑い茶筅』(2002年7月)&『アゲイン~死球を越えて~』(2002年10月、下落合TACCS1179)、シアターD+故林広志合同企画のミニ単独ライブ集『絹~練り笑い・人間交差点~』(2002年10月26日、渋谷シアターD)など、多岐に渡って活躍している。また、ピンク・レディーのコンサートツアーの演出も務め、その縁で未唯との熱愛が2004年に発覚している。)



出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
 

近藤真彦 2 (ディスコグラフィ)



近藤真彦

ディスコグラフィ

シングル
(※印はオリコン1位獲得曲)

タイアップはこちらを参照

レコードレーベルは「永遠に秘密さ」までがRVC(現・BMG JAPAN)時代で、「ヨイショッ!」からがCBS・ソニー(現・ソニーレコーズ)である。年間順位は各年30位以内のみ表示

スニーカーぶる~す(1980年12月12日)※
作詞:松本隆・作曲:筒美京平
1981年度年間順位3位(オリコン)
ヨコハマ・チーク(1981年3月12日)
作詞:松本隆・作曲:筒美京平
1981年度年間順位20位(オリコン)
ブルージーンズメモリー(1981年6月12日)※
作詞:松本隆・作曲:筒美京平
1981年度年間順位11位(オリコン)
ギンギラギンにさりげなく(1981年9月30日)※
作詞:伊達歩・作曲:筒美京平
1981年度年間順位21位(オリコン)
情熱☆熱風せれなーで(1982年1月7日)※
作詞:伊達歩・作曲:筒美京平
1982年度年間順位9位(オリコン)
ふられてBANZAI(1982年3月31日)※
1982年度年間順位10位(オリコン)
ハイティーン・ブギ(1982年6月30日)※
作詞:松本隆・作曲:山下達郎
1982年度年間順位7位(オリコン)
ホレたぜ!乾杯(1982年9月30日)※
1982年度年間順位26位(オリコン)
ミッドナイト・ステーション(1983年1月20日)※
1983年度年間順位23位(オリコン)
真夏の一秒(1983年4月27日)※
1983年度年間順位29位(オリコン)
ためいきロ・カ・ビ・リー(1983年7月15日)※
ロイヤル・ストレート・フラッシュ(1983年11月1日)※
一番野郎(1984年3月1日)※
ケジメなさい(1984年6月6日)※
作詞:売野雅勇・作曲:馬飼野康二
1984年度年間順位26位(オリコン)
永遠に秘密さ(1984年9月13日)※
ヨイショッ!(1985年2月13日)※
夢絆(1985年6月5日)
大将(1985年10月21日)
純情物語(1986年2月26日)
青春(1986年7月4日)
Baby Rose(1986年9月10日)
織田哲郎の曲をカヴァー
愚か者(1987年1月1日)
作詞:伊達歩・作曲:井上尭之、日本レコード大賞受賞
さすらい(1987年6月11日)
泣いてみりゃいいじゃん(1987年9月18日)※
Made in Japan(1988年4月8日)
ああ、グっと(1988年9月14日)
作詞:康珍化・作曲:吉田拓郎
夕焼けの歌(1989年2月3日)
作詞:大津あきら・作曲:馬飼野康二
Just For You(1989年6月1日)
いいかげん(1989年7月5日)
アンダルシアに憧れて(1989年11月10日)
作詞・作曲:真島昌利
気ままにWALKIN’(1990年4月8日)
Ho Ho Ho・・・(1990年7月12日)
好き(1990年10月24日)
デスペラード-ならず者-(1991年7月19日)
無頼派(1991年12月12日)
少年のこころ(1992年5月21日)
北街角(1993年11月21日)
作詞:原真弓・作曲:馬飼野康二
最後のラブ・ソング(1995年7月21日)
ミッドナイトシャッフル(1996年2月21日)
作詞:沢ちひろ・作曲:Joe Rinoie
愛はひとつ(1997年2月21日)
作詞:山崎民士・作曲:Joe Rinoie
KING and QUEEN(1998年5月20日)
作詞・作曲:CANNA
挑戦者(2005年12月14日)
上海慕情/情熱ナミダ(2007年1月24日)

アルバム
Thank 愛 You(1981年3月5日)
17バ-スデー(1981年7月19日)
ブルージーンズメモリー(1981年9月5日)
ギンギラギンにさりげなく(1981年12月16日)
BANZAI(1982年7月18日)
RISING(1983年4月1日)
嵐を呼ぶ男(1983年8月4日)
WINNING(1984年1月1日)
Shining(1984年8月1日)
THE MATCHY best song for you(1985年4月4日)
SUMMER IN TEARS(1985年8月1日)
夢絆 12"(1985年12月1日)
名場面(1986年4月10日)
DREAM(1986年12月12日)
近藤真彦 THE BEST(1987年6月4日)
FOR YOU 抱擁(1987年11月25日)
1987 LIVE SINGLES(1988年12月9日)
SUMMER COLLECTION(1988年7月1日)
JAPAN(1988年11月2日)
夏のエアメール(1989年7月19日)
KICKS(1989年12月12日)
LIVE10th Anniversary' 90(1990年7月19日)
うそのない言葉 -THE TRUTH-(1990年11月10日)
By Your Request(1990年12月12日)
無頼派(1991年12月21日)
綺麗 KI・RE・I(1992年12月12日)
北街角(1993年12月12日)
THE ROCK BEST(1996年11月21日)
GET BACK(1997年7月1日)
MATCHY BEST(2006年2月8日)
MATCHY★BEST 2(2007年2月7日)

MATCHY with O.A.I
ヨイショ!'02 ~日本の皆さんホメていきまショー~(2002年5月22日)
「ヨイショッ!」 のセルフカヴァー。稲垣吾郎・浅野ゆう子・小林稔侍・矢田亜希子・市川染五郎・畑野浩子と共に "MATCHY with O.A.I" として歌唱

トリビュート・アルバム
MATCHY TRIBUTE 25th anniversary(2006年1月1日)
ケジメなさい -
情熱☆熱風せれなーで - Low-Cuts feat. Lori Fine (COLDFEET) and GAKU-MC (from EASTEND)
夕焼けの歌 - SOPHIA松岡充
ブルージーンズメモリー - 玉置成実
アンダルシアに憧れて - アンダルシアユニット ~東山紀之・赤坂晃・堂本光一・今井翼~
ミッドナイトシャッフル - 高橋瞳
スニーカーぶる~す - スクービードゥー
愚か者 - ヘビメタサンダーズ ~マーティ・フリードマン + ROLLY + 鮎貝健~
ハイティーン・ブギ - 吉村由美(PUFFY) *PUFFY, 2002
ギンギラギンにさりげなく - グループ魂

MATCHY with QUESTION?

この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
目覚めろ!野性(2008年1月23日)
Question?とのコラボバンドユニット。MATCHY with QUESTION?を参照。


主な出演作品

テレビドラマ
3年B組金八先生(1979年 - 1980年)
ただいま放課後(1980年)主演
ニッポン親不孝物語(1985年)
野望の国(1989年)
なんだらまんだら(1991年)
世にも奇妙な物語 急患(1991年)
夏の嵐!(1992年)
ニュー・三匹が斬る!-吉良右近役(1994年)
大江戸風雲伝(1994年)
痛快・三匹が斬る!-吉良右近役(1995年)
ドンウォリー!(1998年)主演
エンジン(2005年)スタッフ(スーパーバイザー)
金曜エンタテイメント 岡部警部シリーズ(2006年 - )主演

映画
東宝映画たのきんスーパーヒットシリーズ
第1弾「青春グラフィティ スニーカーぶる~す」(1981年)主演
第2弾「ブルージーンズメモリー BLUE JEANS MEMORY」(1981年)主演
第3弾「グッドラックLOVE」(1981年)準主演
第4弾「ハイティーン・ブギ」(1982年)主演
第5弾「ウイーン物語・ジェミニYとS」(1982年)準主演
第6弾「嵐を呼ぶ男」(1983年)主演
「Love Forever」(1983年、東宝)友情出演
「L・O・V・I・N・G」(「主題歌のタイトルはエル・オー・ヴィ・愛・N・G」)(1983年、東宝)友情出演
「愛・旅立ち」(1985年、東宝)主演
「この愛の物語」(1987年、松竹)
「首領になった男」(1991年、東映)
「極東黒社会」(1993年、東映)

ラジオ
マッチとデート(1980年 - 1984年)
近藤真彦 くるまっち(2002年 - 2006年3月)
近藤真彦 くるくるマッチ箱(2006年4月 - )

CM
ハウス食品「ロッカッキー」(1980年 - )
当時まだジャニーズJr.だった薬丸裕英・東山紀之・松原康行・浜中の4名がバックを務めた。
「チョコフレークバー」
ハウス食品「ククレカレー」(1981年 - )
1981年10月からは、ジャニーズ少年隊(錦織・植草・松原の3名)が共演した。
大塚製薬「シーマックス1000」
松下電器産業「オーディオテープ」
松下電器産業「レコーディングステレオ jump」
小西元「ピッカリコニカ・カラーハンディ」
日産自動車「マーチ」(初代K10型・1982年 - 1991年)
ポッカコーポレーション「ポッカコーヒー・ファーストドリップ」
サントリー「夕涼み生ビール」
Olympic
トヨタ自動車「カローラセダン/カローラフィールダー」
(9代目〔セダン〕E120系・2000年)(初代〔フィールダー〕E120G系・2000年)
首都高「山手トンネル(新宿線)~(池袋線)開通」(2007年12月)

紅白歌合戦
第32回 (1981年) 「ギンギラギンにさりげなく」
第33回 (1982年) 「ホレたぜ!乾杯」
第34回 (1983年) 「ためいきロ・カ・ビ・リー」
第35回 (1984年) 「ケジメなさい」
第36回 (1985年) 「ヨイショッ!」
第37回 (1986年) 「青春」
第38回 (1987年) 「愚か者」
第39回 (1988年) 「ああ、グっと」
第47回 (1996年) 「ミッドナイトシャッフル」

連載
Safari 「近藤真彦のつれづれ遊び!」 (日之出出版)

主なレース活動
ル・マン24時間レース
全日本GT選手権(現:SUPER GT)
フォーミュラ・ニッポン
ミッレミリア

小学生男児救出
2004年8月4日の午前和歌山県白浜町の白良浜沖で溺れていた当時小学2年生の男児を救助した。男児がゴムボートから転落しているところに近藤が水上バイクで近づいて「大丈夫だ、お兄ちゃんが助けてやる」と海に飛び込み救助した。近藤は名前も言わずその場を去ったが、少年の父親は後で救助してもらった人物が近藤だったことを知った。ちなみに、この事故の朝日新聞の見出しは「人命救助さりげなく」であった。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
 

近藤真彦 1 (略歴)



近藤真彦

近藤 真彦(こんどう まさひこ、1964年7月19日 - )は、ジャニーズ事務所所属の歌手・俳優、であり、同事務所の取締役でもある。
血液型O型。ニックネームはマッチ(名付け親は事務所の先輩松原秀樹)。 神奈川県横浜市瀬谷区生まれ、大和市育ち。 大和市立渋谷中学校、明治大学付属中野高等学校夜間部卒業。同級生に野々村真、野村義男などがいる。

また、レーシングチーム「KONDO Racing」を運営する株式会社エムケイカンパニーの代表取締役社長兼チーム監督としての顔も持つ。

参加ユニット
たのきんトリオ
J2000

来歴

タレント活動

1979年10月、TBSのドラマ、『3年B組金八先生』の生徒役でデビュー。同じく生徒役だった田原俊彦、野村義男とともに「たのきんトリオ」として活躍。その後ソロ歌手デビューし、1980年代を代表する男性トップアイドルとして君臨し、ザ・ベストテンやザ・トップテンなどの歌謡番組を中心に活躍した。1981年、1983年のブロマイド年間売上成績で第1位を獲得。また、ファンによる数々の“親衛隊”も誕生(代表的なグループは「卑弥呼」)。 そして、ステージ用の応援コールとして「G・U・T・Sこんどーまさひこアダルトタッチのセクシーボーイ ま~っさひ~こ~」という有名なフレーズも作られた。

1980年7月17日放送の『ばらえてい テレビファソラシド』において、美空ひばりの歌をリハーサルで聴き、それが誰かを知らず、「おばさん、歌うまいね。」と発言。周囲のスタッフを凍りつかせる。しかし、当の美空ひばりは「私、今まで面と向かって他人(ひと)から上手いって言われたことがなかったの。」と笑顔で答えた。(共演者の小堺一機の発言による) それ以来美空には可愛がられた。

1989年7月に、近藤の自宅マンションにて当時の恋人で歌手の中森明菜に自殺未遂事件を起こされるというスキャンダルに見舞われる。

2005年末にデビュー25周年を迎え、ソロとしては7年7ヶ月ぶりに新曲「挑戦者」をリリース(楽曲提供ロクセンチ)し、芸能界への復帰を宣言。復帰の第一弾として25周年記念ディナーショーを開催し、歌手としては約7年ぶりにファンの前に姿を現した(鹿児島、東京公演では少年隊がゲスト出演)。

同年以降のジャニーズ年越しライブにもスペシャルゲストとして参加している。ジャニーズ事務所内では一番の年長者でボス的な存在(生活指導担当)とはいえ、ジャニーズのファン層がもはやマッチが第一線で活躍した時代を知らない人が多数になりつつあることもあり、2005年以降の年越しライブに参加して歌を歌い、改めて年長者としてのケジメをつけている。

さらに2006年2月14日に日本武道館で行われた25周年記念コンサートでは、前売りチケットが発売開始後5分で完売。当日のステージでも、約7年のブランクがあったことを感じさせない熱唱ぶりを披露し、'80年代以来のファンを大いに魅了した。また、サプライズゲストとしてKAT-TUNの亀梨和也が応援に駆けつけた。

マッチ自身からの「感謝の意を込めて」ということで武道館コンサートは2007年2月14日にも再演が決定し、当公演のアンコールでは1990年7月20・21日に行われた東京・日比谷野外音楽堂でのデビュー10周年記念コンサート以来17年ぶりに短パン姿となって「スニーカーぶる~す」等を熱唱した他、ピンク・レディーの「ウォンテッド」、西城秀樹の「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」といった他のアーティストの楽曲も披露した。
会場の1階の客席には森光子(2006年2月14日・2007年2月14日・2008年2月14日)や黒柳徹子(2007年2月14日・2007年3月11日・2008年2月14日)の姿もあった。また2007年2月14日の追加公演として2007年3月11日の「ちょっと早いWhite-dayコンサート」の実施の他、2008年2月14日にも「近藤真彦~08.02.14武道館で”ひとくぎり”ケジメLive!!~」として再演が決定し、この3年連続の公演を以って(日本)武道館コンサートに一区切りをつけている。

2007年3月11日の追加公演では「大将」の間奏中に自身がデビュー後初めて公約していた通りの華麗なフライング(宙吊り)を披露している場面や「YOUNG MAN (Y.M.C.A)」の途中でSMAPの中居正広と少年隊の植草克秀(2006年2月14日以来)が応援に駆けつけた。なかでも中居は大のマッチファンでもあり、特に思い入れのある曲「うそのない言葉」をデュエットで熱唱し、初回以上に追加公演の方が盛大となった。
2008年2月14日の公演では「スニーカーぶる~す」から「目覚めろ!野性」までの全シングル44曲を完全熱唱し、途中15分の休憩を挟んで3時間30分に及ぶロングラン公演となった。後半ではサプライズゲストとして元たのきんトリオの野村義男が駆けつけ、ライブでは12年ぶりに共演を果たしたほか、少年隊の植草克秀(2007年3月11日以来)やタッキー&翼の滝沢秀明と今井翼も応援に駆けつけた。
なかでも今井翼はマッチと「少年のこころ」をデュエットで熱唱していた。そして、2007年12月から期間限定で結成されたユニット「MATCHY with QUESTION?」がこの日を最後に解散となった。

2006年2月14日のダイジェスト版と2007年2月14日の日本武道館での公演の模様を収録したDVDが2007年5月9日にリリースされた。オリコン5月21日付音楽DVDランキングで初登場1位を獲得した。オリコン1位獲得は1987年9月28日付にシングル「泣いてみりゃいいじゃん」で獲得して以来、19年8ヵ月ぶり。

映像作品では、1987年3月30日付にビデオ『OH!ROCK'A MONO』で獲得して以来、実に20年2か月ぶりの1位獲得となった。

また、これとは別に2006年6月から全国ツアーも実施している。2006年9月1日放送の「金曜エンタテイメント『内田康夫旅情サスペンス 岡部警部シリーズ~倉敷殺人事件~』(フジテレビ系)では「ドンウォリー!」以来のドラマ主演を務め、続いて2007年8月31日には岡部警部シリーズ第2弾として『~多摩湖畔殺人事件~』が放送された。さらに2008年秋に向けて岡部警部シリーズ第3弾『~十三の墓標~』の収録に入る模様である。

ジャニーズの後輩達に関しては、本来は同じ芸能界で活動するライバルなので、厳しくしなければならないが、自分が一番の年長者で、歳も離れているので、慕ってくればつい優しくしてしまうと発言している。なお、親しい間柄の後輩は東山紀之、木村拓哉、堂本光一と雑誌で語った。

芸能記者同士の座談会などで応対の良い有名人の一人に良くあげられている。その理由として、後述のレース活動が大きく影響しているからだといわれている。

2007年10月8日、結婚14年目にして待望の長男が生まれた。予定より約2ヶ月早い出産であったが、非常に元気で「まだ父親になったという実感がわかない。(未熟児で保育器に入っているため)まだ抱っこしていないが、早く抱っこしたい」と喜びのコメントを発表した。 車好きの近藤らしく、名前を「轟丞(ごうすけ)」と命名。近藤本人によると、「字画にこだわり、轟の字の一番上の車の字は長男、下の二つの車は近藤本人と敦子夫人を表す意味を込めた」との事。


レース活動

1984年に富士フレッシュマンレース(現在の富士チャンピオンシップレース)に参戦したのを皮切りに、「日本一速い男」の愛称を持つレーサーの星野一義のもとでレース活動を始め、1988年から1993年にかけては全日本F3選手権に参戦。1994年には全日本GT選手権にポルシェ962CのGTカー仕様で参戦し、第3戦(富士スピードウェイ)で1992年度全日本F3選手権チャンピオンのイギリス人ドライバー、アンソニー・レイドとともに初優勝を飾る。

その後は、ル・マン24時間レースやフォーミュラ・ニッポンなどを中心に活躍。2000年に自らのレーシングチームとして「KONDO Racing」を設立した。以後の監督としての活動の詳細はKONDO Racingの項を参照のこと。2006年からは念願であったKONDO RacingによるSUPER GT(旧全日本GT選手権)への参戦を開始した(日産・フェアレディZを使用)。

2007年SUPER GT第4戦(マレーシア・セパンサーキット)にて、KONDO Racingとしての劇的な初優勝を飾った。

現在はチームオーナー兼監督業をメインにしているが、ミッレミリアやスーパー耐久への参戦などドライバーとしても活動を継続している。2007年7月にはスーパー耐久の一戦である「十勝24時間レース」に「FINA GSX ADVAN M3」チームの助っ人として出場し、ST3クラスでクラス優勝を果たした。


評価

1995年から2000年まで参戦した旧全日本F3000選手権→フォーミュラ・ニッポンと続く国内トップフォーミュラにおいては、荒天で大荒れのレースとなった1996年の最終戦に6位入賞したのが唯一のポイント獲得であり、レーシングドライバーとしては目立った実績は上げていない。

ただ、当初は「芸能人の道楽」と冷ややかな視線を送られたにも関わらず、地道に努力する様子を評価する向きも徐々に増えてきた。また20年以上に渡り日本の4輪モータースポーツに関わり続け、バブル景気崩壊後に大口スポンサーの撤退が相次ぎ国内トップフォーミュラの参戦台数が減少する中で、地道に独自スポンサーを獲得してレース活動を継続してきた点も評価されたほか、KONDO Racing設立以後は監督として采配を評価されるケースも増えている。

過去に岩城滉一・ヒロミ・三原じゅん子・夏木陽介など、芸能活動の傍らモータースポーツ活動を行った芸能人は少なくないが、その中でも近藤のレースへの取り組み方は群を抜いていることは確かである。


レース界での交友関係

レース界でも交友関係は広く、レーサーとしての近藤の師匠である星野一義はもちろんのこと、土屋圭市、鈴木亜久里、脇阪寿一とは仲が良い。
またかつてのチームメイトとして片山右京、木下隆之、影山正彦、鈴木利男、竹内浩典など、監督とドライバーとしてエリック・コマス、土屋武士、道上龍、立川祐路、金石勝智、荒聖治、山本左近、ロニー・クインタレッリといった面々とも仲がよく、交友関係は幅広い。
2006年から監督としてのSUPER GT参戦が決まった際には星野や長谷見昌弘らに大歓迎された(ただし星野・長谷見がいずれも日産陣営からSUPER GTに参戦中であることを留意しておく必要がある)。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 
 

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