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近藤真彦 1 (略歴)



近藤真彦

近藤 真彦(こんどう まさひこ、1964年7月19日 - )は、ジャニーズ事務所所属の歌手・俳優、であり、同事務所の取締役でもある。
血液型O型。ニックネームはマッチ(名付け親は事務所の先輩松原秀樹)。 神奈川県横浜市瀬谷区生まれ、大和市育ち。 大和市立渋谷中学校、明治大学付属中野高等学校夜間部卒業。同級生に野々村真、野村義男などがいる。

また、レーシングチーム「KONDO Racing」を運営する株式会社エムケイカンパニーの代表取締役社長兼チーム監督としての顔も持つ。

参加ユニット
たのきんトリオ
J2000

来歴

タレント活動

1979年10月、TBSのドラマ、『3年B組金八先生』の生徒役でデビュー。同じく生徒役だった田原俊彦、野村義男とともに「たのきんトリオ」として活躍。その後ソロ歌手デビューし、1980年代を代表する男性トップアイドルとして君臨し、ザ・ベストテンやザ・トップテンなどの歌謡番組を中心に活躍した。1981年、1983年のブロマイド年間売上成績で第1位を獲得。また、ファンによる数々の“親衛隊”も誕生(代表的なグループは「卑弥呼」)。 そして、ステージ用の応援コールとして「G・U・T・Sこんどーまさひこアダルトタッチのセクシーボーイ ま~っさひ~こ~」という有名なフレーズも作られた。

1980年7月17日放送の『ばらえてい テレビファソラシド』において、美空ひばりの歌をリハーサルで聴き、それが誰かを知らず、「おばさん、歌うまいね。」と発言。周囲のスタッフを凍りつかせる。しかし、当の美空ひばりは「私、今まで面と向かって他人(ひと)から上手いって言われたことがなかったの。」と笑顔で答えた。(共演者の小堺一機の発言による) それ以来美空には可愛がられた。

1989年7月に、近藤の自宅マンションにて当時の恋人で歌手の中森明菜に自殺未遂事件を起こされるというスキャンダルに見舞われる。

2005年末にデビュー25周年を迎え、ソロとしては7年7ヶ月ぶりに新曲「挑戦者」をリリース(楽曲提供ロクセンチ)し、芸能界への復帰を宣言。復帰の第一弾として25周年記念ディナーショーを開催し、歌手としては約7年ぶりにファンの前に姿を現した(鹿児島、東京公演では少年隊がゲスト出演)。

同年以降のジャニーズ年越しライブにもスペシャルゲストとして参加している。ジャニーズ事務所内では一番の年長者でボス的な存在(生活指導担当)とはいえ、ジャニーズのファン層がもはやマッチが第一線で活躍した時代を知らない人が多数になりつつあることもあり、2005年以降の年越しライブに参加して歌を歌い、改めて年長者としてのケジメをつけている。

さらに2006年2月14日に日本武道館で行われた25周年記念コンサートでは、前売りチケットが発売開始後5分で完売。当日のステージでも、約7年のブランクがあったことを感じさせない熱唱ぶりを披露し、'80年代以来のファンを大いに魅了した。また、サプライズゲストとしてKAT-TUNの亀梨和也が応援に駆けつけた。

マッチ自身からの「感謝の意を込めて」ということで武道館コンサートは2007年2月14日にも再演が決定し、当公演のアンコールでは1990年7月20・21日に行われた東京・日比谷野外音楽堂でのデビュー10周年記念コンサート以来17年ぶりに短パン姿となって「スニーカーぶる~す」等を熱唱した他、ピンク・レディーの「ウォンテッド」、西城秀樹の「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」といった他のアーティストの楽曲も披露した。
会場の1階の客席には森光子(2006年2月14日・2007年2月14日・2008年2月14日)や黒柳徹子(2007年2月14日・2007年3月11日・2008年2月14日)の姿もあった。また2007年2月14日の追加公演として2007年3月11日の「ちょっと早いWhite-dayコンサート」の実施の他、2008年2月14日にも「近藤真彦~08.02.14武道館で”ひとくぎり”ケジメLive!!~」として再演が決定し、この3年連続の公演を以って(日本)武道館コンサートに一区切りをつけている。

2007年3月11日の追加公演では「大将」の間奏中に自身がデビュー後初めて公約していた通りの華麗なフライング(宙吊り)を披露している場面や「YOUNG MAN (Y.M.C.A)」の途中でSMAPの中居正広と少年隊の植草克秀(2006年2月14日以来)が応援に駆けつけた。なかでも中居は大のマッチファンでもあり、特に思い入れのある曲「うそのない言葉」をデュエットで熱唱し、初回以上に追加公演の方が盛大となった。
2008年2月14日の公演では「スニーカーぶる~す」から「目覚めろ!野性」までの全シングル44曲を完全熱唱し、途中15分の休憩を挟んで3時間30分に及ぶロングラン公演となった。後半ではサプライズゲストとして元たのきんトリオの野村義男が駆けつけ、ライブでは12年ぶりに共演を果たしたほか、少年隊の植草克秀(2007年3月11日以来)やタッキー&翼の滝沢秀明と今井翼も応援に駆けつけた。
なかでも今井翼はマッチと「少年のこころ」をデュエットで熱唱していた。そして、2007年12月から期間限定で結成されたユニット「MATCHY with QUESTION?」がこの日を最後に解散となった。

2006年2月14日のダイジェスト版と2007年2月14日の日本武道館での公演の模様を収録したDVDが2007年5月9日にリリースされた。オリコン5月21日付音楽DVDランキングで初登場1位を獲得した。オリコン1位獲得は1987年9月28日付にシングル「泣いてみりゃいいじゃん」で獲得して以来、19年8ヵ月ぶり。

映像作品では、1987年3月30日付にビデオ『OH!ROCK'A MONO』で獲得して以来、実に20年2か月ぶりの1位獲得となった。

また、これとは別に2006年6月から全国ツアーも実施している。2006年9月1日放送の「金曜エンタテイメント『内田康夫旅情サスペンス 岡部警部シリーズ~倉敷殺人事件~』(フジテレビ系)では「ドンウォリー!」以来のドラマ主演を務め、続いて2007年8月31日には岡部警部シリーズ第2弾として『~多摩湖畔殺人事件~』が放送された。さらに2008年秋に向けて岡部警部シリーズ第3弾『~十三の墓標~』の収録に入る模様である。

ジャニーズの後輩達に関しては、本来は同じ芸能界で活動するライバルなので、厳しくしなければならないが、自分が一番の年長者で、歳も離れているので、慕ってくればつい優しくしてしまうと発言している。なお、親しい間柄の後輩は東山紀之、木村拓哉、堂本光一と雑誌で語った。

芸能記者同士の座談会などで応対の良い有名人の一人に良くあげられている。その理由として、後述のレース活動が大きく影響しているからだといわれている。

2007年10月8日、結婚14年目にして待望の長男が生まれた。予定より約2ヶ月早い出産であったが、非常に元気で「まだ父親になったという実感がわかない。(未熟児で保育器に入っているため)まだ抱っこしていないが、早く抱っこしたい」と喜びのコメントを発表した。 車好きの近藤らしく、名前を「轟丞(ごうすけ)」と命名。近藤本人によると、「字画にこだわり、轟の字の一番上の車の字は長男、下の二つの車は近藤本人と敦子夫人を表す意味を込めた」との事。


レース活動

1984年に富士フレッシュマンレース(現在の富士チャンピオンシップレース)に参戦したのを皮切りに、「日本一速い男」の愛称を持つレーサーの星野一義のもとでレース活動を始め、1988年から1993年にかけては全日本F3選手権に参戦。1994年には全日本GT選手権にポルシェ962CのGTカー仕様で参戦し、第3戦(富士スピードウェイ)で1992年度全日本F3選手権チャンピオンのイギリス人ドライバー、アンソニー・レイドとともに初優勝を飾る。

その後は、ル・マン24時間レースやフォーミュラ・ニッポンなどを中心に活躍。2000年に自らのレーシングチームとして「KONDO Racing」を設立した。以後の監督としての活動の詳細はKONDO Racingの項を参照のこと。2006年からは念願であったKONDO RacingによるSUPER GT(旧全日本GT選手権)への参戦を開始した(日産・フェアレディZを使用)。

2007年SUPER GT第4戦(マレーシア・セパンサーキット)にて、KONDO Racingとしての劇的な初優勝を飾った。

現在はチームオーナー兼監督業をメインにしているが、ミッレミリアやスーパー耐久への参戦などドライバーとしても活動を継続している。2007年7月にはスーパー耐久の一戦である「十勝24時間レース」に「FINA GSX ADVAN M3」チームの助っ人として出場し、ST3クラスでクラス優勝を果たした。


評価

1995年から2000年まで参戦した旧全日本F3000選手権→フォーミュラ・ニッポンと続く国内トップフォーミュラにおいては、荒天で大荒れのレースとなった1996年の最終戦に6位入賞したのが唯一のポイント獲得であり、レーシングドライバーとしては目立った実績は上げていない。

ただ、当初は「芸能人の道楽」と冷ややかな視線を送られたにも関わらず、地道に努力する様子を評価する向きも徐々に増えてきた。また20年以上に渡り日本の4輪モータースポーツに関わり続け、バブル景気崩壊後に大口スポンサーの撤退が相次ぎ国内トップフォーミュラの参戦台数が減少する中で、地道に独自スポンサーを獲得してレース活動を継続してきた点も評価されたほか、KONDO Racing設立以後は監督として采配を評価されるケースも増えている。

過去に岩城滉一・ヒロミ・三原じゅん子・夏木陽介など、芸能活動の傍らモータースポーツ活動を行った芸能人は少なくないが、その中でも近藤のレースへの取り組み方は群を抜いていることは確かである。


レース界での交友関係

レース界でも交友関係は広く、レーサーとしての近藤の師匠である星野一義はもちろんのこと、土屋圭市、鈴木亜久里、脇阪寿一とは仲が良い。
またかつてのチームメイトとして片山右京、木下隆之、影山正彦、鈴木利男、竹内浩典など、監督とドライバーとしてエリック・コマス、土屋武士、道上龍、立川祐路、金石勝智、荒聖治、山本左近、ロニー・クインタレッリといった面々とも仲がよく、交友関係は幅広い。
2006年から監督としてのSUPER GT参戦が決まった際には星野や長谷見昌弘らに大歓迎された(ただし星野・長谷見がいずれも日産陣営からSUPER GTに参戦中であることを留意しておく必要がある)。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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