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SMAP



SMAP

SMAP(スマップ)は、ジャニーズ事務所所属のアイドルグループ。所属レコード会社はビクターエンタテインメント。1988年4月結成。1991年1月に日本武道館で最初のコンサートを行い、同年9月9日、『Can't Stop!! -LOVING-』でCDデビュー。

メンバー

現在
中居正広(なかい まさひろ、1972年8月18日- A型)
木村拓哉(きむら たくや、1972年11月13日- O型)
稲垣吾郎(いながき ごろう、1973年12月8日- O型)
草剛(くさなぎ つよし、1974年7月9日- A型)
香取慎吾(かとり しんご、1977年1月31日- A型)
脱退
森且行(もり かつゆき、1974年2月19日- B型)


グループ名

グループ名は、事務所の社長・ジャニー喜多川による命名。 「Sports Music Assemble People」の頭文字から取られた。前身であるスケートボーイズ(後述)のキャッチコピーが「Sports Music Assemble People」であった。 しかしこれは後付けによる由来であり、当初の由来は、「GENJIの弟分グループ」という意味で、GENJIメンバーのそれぞれのイニシャルから取られたものだった。

佐藤のS、諸星のM、赤坂のA、そして山本淳一の愛称「バンジー」を社長がずっと「パンジー」と思い違いしていたためにPとなった(ただし、ごく初期にはパンジーと称しており、語呂の悪さからバンジーと改めたことを失念していたというのが正確なところであろう)。

この件については、1989年に『週刊マーガレット』誌上にて連載されたSMAPが主人公の漫画『SMAPに夢中』の第1話でのインタビューにて、SMAPのメンバー自身が答えている。また、『週刊女性』2004年11月9日号に掲載されていた「元ジャニーズ事務所メンバー座談会」にて、山本淳一自身も説明している。 なお、ジャニー喜多川が尾崎豊のことをお気に入りで、尾崎の楽曲『17歳の地図』の英訳「Seventeen's map」から引用したという説も一部で存在したが、この説は誤りである。


グループの歴史

1988年4月スケートボーイズの中からグループ結成。結成当時の年齢はそれぞれ中居15歳、木村15歳、稲垣14歳、森14歳、草13歳、香取11歳。結成後すぐにCDデビューのグループが多い中、SMAPはCDデビューまでのJr.内グループ期間が3年以上に渡り、その間アイドル番組やドラマ、舞台などに出演し、小中高生の間でアイドルとしての人気を確保していった。
アイドル雑誌やメンバーのラジオには季節の変わり目になるとSMAPがCDデビューしないことについての疑問や怒りのハガキが届き、メンバーも「いつかはするから待っててね」のような発言を再三していた。

1991年9月9日待望のデビュー。当然のことながら当時SMAPを知っていたのは若い学生が中心であり、一般認識は低かった。また、彼らのデビュー時には、歌番組が次々と消滅し、新人アイドルを売り出す場が皆無という状況であった。SMAPはもちろん、前年にデビューした忍者と共に事務所としても売り出しに苦慮していたのが実情である。

しかしデビュー半年後の1992年4月、当時若者に絶大な人気を誇ったフジテレビの通称「Panasonic枠」にて、『夢で逢えたら』の後番組として開始した『夢がMORIMORI』が、彼らの転機となる。アイドルであるにも関わらず、彼らは本格的なコントを、出演しているドラマのパロディを、「アイドル」という自分たちを笑い飛ばした。

当時彼らの発言に度々出てくるキーワードは「俺たちは身近にいる男の子って感じ」。「光GENJIが『ザ・アイドルそのもので王子様』だったのなら、自分たちは『みんなの身近にいる普通の男の子』だ」という発言。

また、現在ではどのユニットでも当たり前のこととなっているが、彼らはCDデビュー後も個人活動を推進した。これはデビュー直後のグループとしては当時とても画期的なことだった。この個人活動の中でドラマの出演が多かった木村・稲垣・森を「ドラマ班」、バラエティ出演が多かった中居・草・香取を「バラエティ班」と呼ぶようになる。

1994年頃から老若男女・多くの層に認知される様になり、1995年、アルバム『SMAP 007 〜Gold Singer〜』で海外から大物ミュージシャン参加で話題を呼んだ。シングルも4作すべて1位と世に名をおくりだしていった。1996年、森が子供のころから憧れていたオートレースの選手になるためにグループを脱退(脱退時22歳で、オートレースの養成学校に入れるのは23歳が上限であるため)。

また、この年にはバラエティ番組SMAP×SMAPが開始し、森のお別れ会を行った。この際歌った曲は、森がリクエストした、「たぶんオーライ」、「$10」、「がんばりましょう」、「KANSHAして」、「はだかの王様〜シブトクつよく〜」など森の好きな曲を歌って森の芸能活動は幕を閉じた。

木村主演のロングバケーションが高い視聴率を取った事から人気が急上昇し、ドラマ、バラエティ、CM、コンサート、舞台と多方面で活躍し始めた。また『ジャニーズカウントダウンライブ』や『ジャニーズ体育の日大感謝祭』など事務所を挙げたイベントには1996年10月10日の運動会を最後に参加していない。

1997年1月31日をもってメンバー全員が20代となった。この1990年代後半頃になると彼らは平成の『クレイジーキャッツ』的な存在になった。これはクレイジーキャッツ同様「料理」や「コント」、「歌」など、何でもこなせることが出来ると言われているためである。

2001年8月24日、稲垣が東京都渋谷区の路上に車を止めていたところ、駐車違反の取り締った警察官に怪我を負わせたとして、公務執行妨害および傷害罪ならびに道路交通法違反の現行犯で逮捕された。この際に、マスメディア各社は稲垣『容疑者』ではなく、稲垣『メンバー』という呼び方をしている(なお、2007年に覚醒剤所持で逮捕された元光GENJIの赤坂晃はジャニーズ事務所を解雇されたせいもあり、赤坂晃『容疑者』と呼ばれている)。
5か月余りの謹慎後、翌年1月に稲垣はSMAP×SMAPの緊急生放送で復帰した。ちなみにこの2001年の9月9日CDデビュー10周年を迎えた。10周年のコンサート中に稲垣が不祥事を起こしてしまったため、4人だけで10年を迎えざるを得なくなったが、稲垣の顔がプリントされたTシャツを着るなどメンバーは『SMAPは5人で必ず戻ってくる』ということをアピールし続けた。

2003年、フジテレビドラマ『僕の生きる道』の主題歌にアルバム『Drink! Smap!』に収録された「世界に一つだけの花」が起用される。ドラマ人気と相まってこの歌も注目をあび、急遽シングルカットを行い、250万枚を超える大ヒットとなった。『第54回NHK紅白歌合戦』ではグループとしては史上初、ポップス歌手としては25年ぶりに大トリを務めた。レコード大賞の候補に選ばれたが、大賞を辞退した。

2004年、シングルを1枚も出していないということを理由に第55回NHK紅白歌合戦の出場を辞退した。

アルバム『MIJ』に収録された「ススメ!」がTBSのアテネオリンピック関連の番組の主題歌(「〜アテネバージョン」として)になったこともあり、同曲がシングルカットされるのではないかと一部で言われていたが、結局実現しなかった。

また、その年のクリスマスにスペシャルドラマ『X'smap〜虎とライオンと五人の男〜』にSMAP全員が出演し、話題になった。このドラマの主題歌「Song of X'smap」は当初、CD化未定となってたが、翌年発売されたシングル『友だちへ 〜Say What You Will〜』のカップリングとして、CD化されている。

香取がNHK大河ドラマ『新選組!』に出演しており、他のメンバーのスケジュールが合うのが『SMAP×SMAP』の収録日だけという状況だったため、コンサートツアーはなかった。従って2004年は、音楽活動がなく、ほどんどが個人活動だった。このため、2004年末に発売された各テレビ誌のお正月特大号では「まずは新曲を」「ライブがしたい」「プライベートや他の仕事はやり残したことはないけど、楽曲面だけは…」と、SMAP5人での新曲を出せなかったこと、ライブが開かれなかったことを非常に悔やんでいた(一説には、&Gの『Wonderful Life』がSMAP5人での新曲になる予定だった)。

2005年、2年ぶりにコンサートツアーを開始し、7月30日の札幌ドームを皮切りにスタートさせアーティストの単独公演としては初の国立霞ヶ丘陸上競技場でコンサートを行ったとして話題になった。

ツアー開始に合わせ、シングル『BANG!BANG!バカンス!』とアルバム『SAMPLE BANG!』を同時発売し、発売当日でシングル、アルバム共にランキング初登場1位を記録し、3人組以上のグループの同じアーティストの同じ発売日のシングル・アルバムで同時に1位を記録するのは1993年のWANDS以来12年ぶりの快挙であった。

以前『SMAP×SMAP』のBISTRO SMAPコーナーに宇宙飛行士の毛利衛・野口聡一が出演してこの時の勝者(稲垣・香取ペア)の料理と野口が希望した草が作ったカレーと共に、野口聡一がスペースシャトル「ディスカバリー」に乗り込んだ。
また、モーニングコールとして野口聡一が「世界に一つだけの花」をセレクトし機内で流れた。
また、宇宙ステーションでは、そこにあった電子ピアノで演奏もした。各メディアから「SMAP、宇宙デビュー」などと報道された。

2年ぶりに出場した紅白歌合戦では2度目の大トリを努めた。またスキウタアンケートで1位に選ばれた「世界に一つだけの花」を見事歌い上げ、視聴率に大きく貢献した。紅白の影響が強かったのか「世界に一つだけの花」がオリコンベスト100に返り咲くという現象が起きた。

2006年9月9日CDデビュー15周年を迎え、これまで発売したシングルはすべて1月から12月まで発売した。

NHK紅白歌合戦には、1991年より、ほぼ毎年出演し、1997年、1998年、2006年には、メンバーの中居が白組司会を務め、2007年には紅組の司会を任された。2003年と2005年は大トリで歌い、2007年では予定されていた楽曲が全て終了した後の特別なコーナーで、隠れ大トリとして幕を閉めた。なお、2001年は「(稲垣の不祥事により)5人で出演できないため」、2004年は「新曲を発表していない」との理由で、出場を辞退している。

5年ごとの節目に大きな出来事が起こるというジンクスがある。1991年のファーストコンサートに香取が骨折しコンサートに参加できなかったことに始まり、デビュー5周年の1996年には森の脱退、10周年の2001年には前述の稲垣の不祥事、15周年の2006年には草のインフルエンザ、木村の副鼻腔炎、中居のはやり目、肋骨の疲労骨折、肉離れという災難が起こっている。これについて香取は「20周年はツヨポン、突き指」とネタにしている。

スマスマなどでの普通なら芸人がする『パイ投げ』などの体を張ったコントや、ビストロなどで見せるエンターティナー性からか、『平成のドリフターズ』と呼ばれることもある。

毎年、年末に発売される各テレビ雑誌のお正月特大号では1995年頃から表紙を飾っている(2001年末に発売された各テレビ雑誌お正月特大号は、8月に稲垣が起こした事件により謹慎中だったため、稲垣を除いたメンバー4人での表紙となった)。

2007年1月18日に、文化庁が日本PTA全国協議会とともに主催し、公募していた「親子で歌いつごう 日本の歌百選」の中に、「世界に一つだけの花」が選ばれた。

2007年1月31日の香取の30歳の誕生日をもってメンバー全員が30代となった。

2007年11月時点で、楽曲は披露するもののCDは発売されていなかった(Mermaidや旅立ちの日になど)。なお、前述にある事情から紅白への対応が元々注目されていたが、紅白の司会が決定するときにはまだ新曲が発表されていなかったせいか、中居が白組司会ではなく紅組司会を務めることに決まってしまった。

しかし、2007年12月19日に急遽新曲「弾丸ファイター」の発売が決定したことによって例年通り白組として出場となった。当日のSMAPとしてのステージ前に白組司会の笑福亭鶴瓶は中居に「あなただけ紅組じゃないですか」とつっこみを入れ会場が笑いに包まれていた(なお、中居はそれに対し「(気持ちの)整理がついていない」と話していた)。

2008年4月で、グループ結成20周年を迎える。


エピソード

今でこそ、出す曲はすべて首位に上りつめるほどにもなったが、デビュー当時はCDの売り上げが芳しくなく、3作目の時に全員事務所に呼び出され、「お前らはなぜ売れないんだ」と叱られ、特にリーダーの中居が叱られたらしい(2007年7月29日FNS27時間テレビBISTROSMAP香取談)。

当時、光GENJIのコンサートにゲスト出演した際、MCが全く受けず、ジャニー喜多川から「You Die」と言われたらしい。(2007年11月15日うたばん 中居談)。

2002年に発売されたSMAPのアルバム「Drink! Smap!」と同名の清涼飲料水が2002年7月23日に発売された。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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