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ジャニーズJr. 解散したグループ 1980年代まで



ジャニーズJr. 解散したグループ』では、過去に芸能事務所ジャニーズ事務所に所属するジャニーズJr.内に存在したグループを取り挙げる。

ジューク・ボックス
1970年結成、ジューク・ボックスを参照。

ハイ・スパンキー
1971年結成、ハイ・スパンキーを参照。

リトルリーブス
1974年春結成、リトルリーブスを参照。

JOHNNY'Sジュニア・スペシャル
1974年夏結成、JOHNNY'Sジュニア・スペシャルを参照。

ジュニア・エース
1974年夏結成、ジュニア・エースを参照。

ザ・ニュース
1974年に結成。 1975年3月28日 - 3月31日には「第53回ウエスタン・カーニバル」にも出演したが、同年に自然消滅。 尚、当時のあらゆる文献ではグループ名が「ザ・ニューズ」と紹介されている場合も多い。
メンバー
事務所退社
小川浩 池田洋 宮崎勝 田渕英人

メッツ
1975年結成、メッツを参照。

リトル・ギャング
1975年結成、リトル・ギャングを参照。

デビー&ルーベン
スーパーエイジス出身の兄弟によるバンドグループ。1975年8月27日に日本劇場で行われた『第54回ウエスタン・カーニバル~ばらとみかんとバイオリンと 「ジャニーズ・ファミリー・フェスティバル」』に、3人編成のスーパーエイジスと共に出演。 その後、2人ともスーパーエイジスに正式加入した。
メンバー
事務所退社
デビー辻野 (兄・ギター)
ルーベン辻野 (弟・ドラム)

クエッション
スーパーエイジスから派生して生まれたバンドグループ。1976年2月にレコードデビューした。
メンバー
事務所退社
リューベン辻野(ドラム。後にCharのバックドラマーを経て、「リューベン」に改名してソロデビュー。)
実川茂(じつかわ しげる。リードギター。愛称「じっちゃん」。後に「実川しげる」に改名。)
村田勝美(リーダー、ドラム) デビッド辻野 (ギター)

白虎隊
1975年にジャニーズ事務所が、雑誌『平凡』とのコラボレーションでジャニーズJr.を募集した。その際の合格者は「ジャニーズ・ジュニア第4期生」と呼ばれ、その中から選ばれた3人によって結成されたバンドグループ。1976年8月15日に日本劇場で行われた「ロックン・ロール・カーニバル」にて、『バイバイベイビー』という曲を唄って初お披露目。その後、同年8月24日 - 28日の日本劇場「第55回ウエスタン・カーニバル」で改めて本格的にデビューした。 「ギャングス」の前身グループ。
メンバー
事務所退社
大野祥孝 (おおの よしたか。サイドギター担当、愛称「おーちゃん」、デビュー当時中学2年生。)
長谷部徹 (ドラム担当、デビュー当時小学6年生。)
岩崎富美雄 (白虎隊結成前のJr.時代は、本名の「小石崎富美雄」で活動。ベース担当、愛称「とんちゃん」、デビュー当時小学6年生。後にオーエンタープライズに移籍し、1992年5月27日に『Dear Robert』でCDデビュー。)

キングコング
1976年から1977年にかけて活動。資生堂「バスボン」のイメージガール・松本ちえこのシングル『ハイ!授業中』でのバックダンサーや、テレビ東京『ヤンヤン歌うスタジオ』内のあのねのねによるコーナー「ねのねのなんでも修行中」などで活躍した。
メンバー
事務所退社
大野祥孝
渡辺和晃(ジャニーズ・ジュニア第7期生。ジャニーズ事務所に入る前は子役俳優として、テレビドラマ『ジャンボーグA』や『ファイヤーマン』に出演していた。 ジャニーズ事務所を退社後は、森口博子のチーフマネージャーを経てバーニング傘下の芸能事務所「スタッツ」の社長になり、「deeps」、「pool bit boys」などを世に送り出した。)
原川吉臣(リーダー) 井上晴雄(愛称:僕ちゃん) 
脱退メンバー
事務所退社
浅田敏行
山口裕章 (後に文学座に入団して舞台俳優として活動。現在は退団。)
サポートメンバー
事務所退社
曽根崎しんじ

ドルフィン
池田ひろことの競作曲『友達から恋人に』で、ホリプロから1976年6月1日にデビューしたバンドグループ。メンバーの内、小川と小野寺の2名がジャニーズJr.の出身。デビュー前にはホリプロの先輩・荒川務のバックバンド「ブルーシャーク」(5人編成)として下積みをし、アメリカの5人組バンド『オズモンズ』を目標としていた。
メンバー
事務所退社
小川浩(ベース)
小野寺伸定 (ギター)
事務所部外者
ミッキーみつる (ドラム。「ブルーシャーク」時代にのみ参加。後に「紺野大輔」の名で歌手デビュー。)
高橋真一(キーボード) 小原秀信(ギター)

ジャニーズ少年団
1977年結成、ジャニーズ少年団を参照。

VIP
1978年結成、VIPを参照。

ジャPAニーズ
1980年結成、ジャPAニーズを参照。

ピラミッド
川崎麻世のバックコーラス&ダンスグループ。 1979年4月 - 7月まで、毎週日曜夜7時から30分間放送していた日本テレビのダンス番組『ミュージックボンボン』に、ジャPAニーズと共に出演していた。
メンバー
事務所退社
長谷部徹 曽我泰久 田原俊彦

ANKH
1980年結成、ANKHを参照。

ジャニーズ少年隊
1981年結成、ジャニーズ少年隊を参照。

田原ダンサーズ
ジャPAニーズ・ジュニアよりも先に、ジャニーズJr.内で結成された田原俊彦の専属バックダンスグループ。 田原が赤坂プリンスホテルのクリスタルパレスで“ジャクソンズメドレー”を披露した際もバックを務めた。
メンバー
事務所退社
田中ひろき(愛称「ロン」。実家は理髪店。) 他多数

ジャPAニーズ・ジュニア
ジャPAニーズが解散した後の、田原俊彦のバックダンスグループとして結成された。 1982年 - 1985年に活動。ジャニーズJr.の中でも特にダンスの上手い精鋭たちで組まれていた。 当初のメンバーは、「ジャニーズ少年隊」出身の鈴木則行をリーダーに、中村・大沢・平本の計4名。まだその頃はグループ名が無く「鈴木君グループ」と呼ばれていた。基本はジャPAニーズと同じで4人体制。後に何度か入れ替えがあり、延べ十数名が参加する事となった。
「たのきん3球コンサート(1983年版)」、「'83 Toshi in 宝塚」、また「近藤真彦・武道館コンサート」などでも彼らがバックを務めた。
参加メンバーは全員、1983年公開の少年隊主演の映画『あいつとララバイ』にも出演している。
メンバー
J-STARS
内海光司
事務所退社
鈴木則行(リーダー、愛称「ノリくん」。少年隊の初期メンバー。)
平本淳也(「東京宝映テレビ(現:宝映テレビプロダクション)」出身。祖父がアメリカ人のクオーター。 1989年には「SHADOW」のメンバーに。 また、暴露本を立て続けに出版して話題となった。)
内海裕一(先に事務所に入っていた弟の内海光司に誘われて事務所入り。荒川区立第八中学校に通っていた。)
河村直人(1983年-1986年に事務所に所属。後に「クリエートジャパンエージェンシー」に移籍。モデル・ダンサー・シンガーとして、テーマパークやオリジナルライブ等にて活躍中。)
牧村稔(愛称「マッキー」。松田優作に似ていた為、少年隊からは“優作”と呼ばれていた。)
中本雅俊(愛称「なかもっち」、「もっち」。東京都出身、1966年12月15日生まれ、血液型B型。15歳でジャニーズ入り。後に東宝芸能へ移籍し、ミュージカルダンサーに転身。劇団四季のダンス講師、NHK教育『天才てれびくんMAX』やサザンオールスターズのコンサートの振付など、多岐に渡って活躍中。
中村成幸 大沢樹生 宇治正高 前田直樹 他多数

イーグルス
1982年結成、イーグルスを参照。

江端兄弟
江端兄弟を参照。

東京(東京男組)
1984年12月結成、東京(東京男組)を参照。

三多摩新鮮組
さんたましんせんぐみ。雑誌『マイアイドル』1985年5月号にて命名。由来は、3人とも東京の三多摩地域に住んでいたから。
メンバー
事務所退社
江端郁己 江端郁世 守屋二郎

少年忍者
1985年結成、少年忍者を参照。

桜隊
注『さくら隊』は誤表記。1986年、日本テレビ『アイドル花組おとこ組』内だけでのグループ。「花組」と名乗る女の子8人組(安田満衣子、他…)と一緒に出演していたが、番組終了と共に、わずか3ヶ月で消滅。予備軍を含め、約11名いた。
メンバー
事務所退社
鞆田紀世彦 (ともだきよひこ。民謡歌手の鞆田晶行が父親だった為、彼も民謡や演歌の歌手としてジャニーズ事務所からデビューさせようという企画があった。1987年には『サブロー・シローの歌え!ヤング大放送』にも出演し、錦織一清がコンサートで持ち歌としていた「大漁唄い込み」という宮城県の民謡を、少年忍者をバックに従えてソロで披露。更には、1988年10月21日放送の『ミュージックステーション』にも、やはり少年忍者をバックに従えて「愁列車」という曲をソロで披露するという好待遇を得ていた。尚、この「愁列車」は後にテンポの速いヴァージョンに生まれ変わり、少年忍者がカヴァーした。)
中岡真一郎(福岡県福岡市出身。後に「坂本一生&平成維新」に参加。)
藤井孝浩(徳島県徳島市出身)
西野浩一(滋賀県出身)
田代秀高 赤坂武彦

桜隊予備軍
桜隊の弟分。
メンバー
事務所退社
阿部直人 (後に「シャイニー」というモデル事務所に移籍し、モデルとして活動。)
山崎正人(ジャニーズ時代の愛称は、事務所社長のジャニー喜多川が命名した「マットくん」。長野県長野市松代町生まれ、千葉県鎌ヶ谷市育ち。 『アイドル花組おとこ組』内では、男闘呼組のバックでドラムを担当した事もある。 ジャニーズ事務所を辞めた後、1989年に「SHADOW」のメンバーに。 また、「山崎銀次」→「山崎銀」→「木山将吾」の順で改名し、暴露本「SMAPへ―そして、すべてのジャニーズタレントへ」の著者となった。)
桑名兼司 他数名

踊り子
男闘呼組のバックダンサーグループ。
メンバー
事務所退社
佐藤寛之 大沼雄一郎 川上康明 鹿内和博 桑名兼司

Mr.ミュージック
1986年10月、テレビ朝日『ミュージックステーション』がスタートすると同時に結成。同番組の専属バックダンサーグループで、全8名。 荻野目洋子の『六本木純情派』などのバックを務めた。
メンバー
J-STARS
内海光司
事務所退社
大沢樹生 志賀泰伸 江端郁己 木野正人(愛称・Mr.マイク) 他3名

おめで隊
1986年10月結成、おめで隊を参照。

スケートボーイズ
1987年秋結成、スケートボーイズを参照。

B・D 104
1988年、田原俊彦の『抱きしめてTONIGHT』の時からバックダンサーとして結成された。グループ名は「バックダンサー104(トシ)」という意味。
メンバー
事務所退社
木野正人 乃生佳之
コンサート時のサポートメンバー
事務所退社
松元治郎 桑名兼司
小沢通可(本名:小澤通可(おざわ みちよし)。1983年からイーグルスと共に『月曜ドラマランド』で共演してきた古参Jr.。

平家派
愛称「平家」。1988年9月、光GENJIのヒット曲『剣の舞』のバックダンサーグループとして、「スケートボーイズ」出身のメンバーを中心に結成。剣を持ってのバックダンスを務めた。更に次の曲『地球をさがして』でもバックを担当し、小旗を振るダンスを務めた。 更に松元・坂本・関の3名は、1988年10月21日放送の『ミュージックステーション』にて、鞆田紀世彦の曲「愁列車」のバックを少年忍者と共に担当した。 雑誌用、テレビ用、コンサート用など、それぞれのメンバー編成があり、延べ30名以上が参加。1990年の初頭に消滅した。また、このグループでは「リーダー」の事を“隊長”と呼び、松元治郎がその役目を務めた。 尚、当初は「ホタル」というガールズグループも作り、光GENJI・平家派・ホタルの3グループ合同で何かをやろうという企画・構想もあったが、結局実現には至らなかった。
メンバー
TOKIO
城島茂 山口達也 国分太一
V6
坂本昌行 長野博 井ノ原快彦(『地球をさがして』時のみ参加)
事務所退社
松原一平 (1997年の映画『かっ鳶五郎』に出演)
石川徹(愛称・いっち)
菅勇太 (1992年のジュノン・スーパーボーイ・コンテストにエントリー)
田中浩 (1983年公開の少年隊主演の映画『あいつとララバイ』にも出演した古参Jr.。)
関裕通 (せき ひろみち。少年忍者の曲「愁列車」にて和太鼓を担当)
古川栄司 岩佐克次 松元治郎 野口隆史 萓嶋大輔 佐藤敬 岡田賢一郎 小山田英樹 山本隆文 朝倉健仁 佐藤功 村田義治 平岡功次 平野喜弘 渡辺一久 長谷川文高 寺山幸治 米脇明彦 米脇伸彦 相澤聡 米山 他多数

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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