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ジャニーズ



ジャニーズ

ジャニーズ(Johnny's)とは、かつてジャニーズ事務所から一番最初にデビューを飾った日本のアイドルグループである。便宜上「初代ジャニーズ」・「元祖ジャニーズ」と呼ばれることもある。 1962年4月結成。1967年11月20日解散。

メンバー

真家ひろみ(リーダー)(まいえ ひろみ、本名・真家弘敏)
1946年11月1日 - 2000年3月6日。東京都渋谷区出身。東京学園高等学校→日本大学芸術学部。
飯野おさみ (いいの おさみ、本名・飯野修實)
1946年8月23日 - 。愛知県渥美郡出身。東京都立農業高等学校→日本大学芸術学部。
中谷良(なかたに りょう、本名・中谷良三)
1947年9月18日 - 。東京都渋谷区出身。堀越高等学校→日本大学芸術学部。
青井輝彦(1967年から「あおい輝彦」に改名)(あおい てるひこ、本名・青井輝彦)
1948年1月10日 - 。東京都青ヶ島村出身。日本大学鶴ヶ丘高等学校→日本大学芸術学部。

概要

4人とも日本大学芸術学部出身。
ジャニー喜多川が趣味で野球のコーチをしていた少年野球チーム「ジャニーズ少年野球団」の中から、渋谷区立代々木中学校に通っていた4人を選抜し、1962年4月に結成。ジャニーズ事務所初の所属タレント(なお、当時、ジャニーズ事務所が渡辺プロダクションと提携していたので一部同事務所関連の資料にもジャニーズが記載されていることもある。このため渡辺プロダクション所属扱いとなることもあった)。
1962年8月、NHK総合『夢であいましょう』で田辺靖雄のバックとして芸能界デビュー。
1963年1月、日劇『第18回ウエスタン・カーニバル』の伊東ゆかり(当時:伊藤ゆかり)の『ロコモーション』のバックを務める。
1964年12月、『若い涙』でレコードデビュー。以後、『太陽のあいつ』や『涙くんさよなら』などの代表曲を残す。
1965年12月31日に放送された『第16回NHK紅白歌合戦』に出場し、『マック・ザ・ナイフ』という曲を披露した。同曲は1960年の紅白で雪村いづみも歌った事のあるジャズ・ナンバー。
1966年8月28日、本格的なダンスレッスンをする為に渡米。その後ワーナーブラザーズとの契約が決まり、予定の3ヶ月という滞在期間を延長してLPレコードのレコーディングを開始。その中から2曲を全世界に向けてシングルリリースした。プロモーションフィルムまで制作していたが、発売を中止して日本へ帰国する事となった。
尚、レコーディングした楽曲の中の一曲『Never My Love』は、元々作者である「アドリシ・ブラザーズ」が歌って発売したが全く売れずに眠っていた作品であった。ジャニーズのLPのお蔵入りが決まった後は、「アソシエイション」というグループによって1967年にリリースされ、今度は全米チャート第2位の大ヒットを記録している。ジャニーズ版『Never My Love』は現在も尚発売されておらず、幻の楽曲となっている。
1967年1月5日に日本へ帰国。 ミュージカル『いつかどこかで~フォーリーブス物語』の公演や、シングルレコードを2枚リリースした後、同年11月20日、渋谷公会堂でのコンサートを最後に解散した。 しかし、2年後の1969年12月13日に日本劇場で行われた「オールスター・歌の祭典」にて、1日限りで再結成された。

解散後・その他

真家ひろみ
リーダーだった真家は、解散後に「真家宏満」、さらに、後に作家の故・池波正太郎から命名された「立花正太郎」へと、2度の改名をしている。そして俳優業や、ワイドショーの司会などをしばらくこなしていた。元宝塚歌劇団54期生で、声楽家・ソプラノ歌手の白河かほると結婚し、2人で個人事務所「(有)真家企画」を設立。1982年からはタクシー運転手に転職し、その模様が「ザ・ノンフィクション」や、猪瀬直樹の著書『あさってのジョー』(文庫化の際に『二度目の仕事』に改題)で取り上げられた事がある。しかし、2000年3月6日午前2時55分、心筋梗塞の為に新宿区の病院で逝去した。享年53歳。真家の告別式では、祭壇にジャニーズ事務所から花すら届いていない事に対し、フォーリーブスの青山孝や、元ハイソサエティーのリーダー・高橋洋一らジャニーズOBたちが、「対応がひどすぎる!」と激怒した。

飯野おさみ
解散後に渡辺プロに移籍。そして、アメリカ留学を経て、1972年に「劇団四季」に入団し、ミュージカル俳優に転向した。劇団四季の元女優・末次美紗緒と結婚。子供をもうけるものの、その後離婚し、現在は一般女性と再婚している。また、タレントの飯野めぐみは実の娘、音楽アーティストの山口裕介は甥である。

中谷良
歌唱力に長けていた中谷は渡辺プロダクションに移籍してバンドを結成。ジャニーズ解散直後の1967年12月にフジテレビの音楽番組『ミュージックフェア』にソロで出演したが、その後は活躍する事無く終息。その後は大阪に出向いて振付師の山田卓の元へ身柄を預け、2年間に渡りナイトクラブを回って演奏活動をしていた。また、後輩・郷ひろみのサマーフェスティバルにゲスト出演した事もあった。 そして1989年、暴露本『ジャニーズの逆襲』を発表。1992年には、フォーリーブスの北公次の主演映画『怪獣の観た夢』に出演した。なお、堀越高等学校の芸能人生徒の第一号である。

あおい輝彦
解散後も順調に歌手や俳優としての活躍を見せた。

ディスコグラフィ

シングル
ジャニーズ
1964年
12月 『若い涙(「夢であいましょう」8月の歌) c/w ぼくの手袋破れてる』
1965年
5月 『若い夜 c/w 若いんだもん』
6月 『焔のカーブ c/w ぼくらのでっかい袋』
6月 『ガール・ハッピィ c/w チキン・オブ・ザ・シー』
10月 『栄光のマーチ c/w ぼくの瞳に君がいる』
『流行歌コンパクト盤4曲組』(若い涙/ぼくの手袋破れてる/若い夜/若いんだもん)
1966年
1月 『君が若者なら c/w ひとりぼっちになったとき(中谷良ソロ名義)』
4月 『泣いていたジェニー c/w 涙くんさようなら』
(B面はジョニー・ティロットソン、坂本九、和田弘とマヒナスターズ、ジュディ・オングとの競作。)
5月30日 『バットマン c/w 行け!バットマン』
(演奏:ジャッキー吉川とブルーコメッツ。フジテレビのドラマ『バットマン』主題歌。)
8月 『おーい わーい チチチ c/w もう7時だよ』
11月 『霧の夜の哀愁(青井輝彦ソロ名義) c/w 若者の帽子(飯野おさみソロ名義)』
11月 『時計をとめて(青井輝彦ソロ名義) c/w 淋しさはどこから』
『流行歌名曲シリーズ4曲組』(泣いていたジェニー/涙くんさようなら/君が若者なら/ひとりぼっちになったとき)
1967年
4月 『太陽のあいつ(TBSの同名テレビドラマの主題歌) c/w ロンサムガール』
10月 『いつか何処かで c/w 素敵な恋人』
12月 『若い日本の歌(第22回芸術祭参加作品) c/w 日本の朝』(解散後のリリース)
『ハロー・ジャニーズ』(ソノシート盤)(ぼくの瞳に君がいる/栄光のマーチ/チキン・オブ・ザ・シー/ガール・ハッピィ)
中谷良
『悲しきティーンエイジ・アイドル c/w カモン・バック・トゥ・ザ・ツイスト』
(1977年6月、ブラックレコード。A面の作詞作曲は宇崎竜童。)

アルバム
1966年
『ジャニーズとアメリカ旅行 ~ジャニーズショウ実況録音』

ソノシート
1966年
「女学生の友」1966年4月号特別付録『女友シート・ジャニーズのないしょ話公開』

主な出演作品

テレビ
ジャニーズ
夢であいましょう(NHK)
スパークショウ(フジテレビ)
シャボン玉ホリデー(日本テレビ)
九ちゃんの夏休み
若さとリズム(NHK)
ホイホイ・ミュージックスクール(日本テレビ)木の実ナナのバックダンサーとして出演。
明日があるさ(日本テレビ)
ジャニーズ7ショウ(日本テレビ)
ジャニーズ9ショウ(1966年、日本テレビ)
真家宏満
3時のあなた(1968年4月1日 - 、フジテレビ)
メイン司会である木元教子のアシスタントとして、毎週水・木・金曜の3日間サブ司会を務めた。

テレビドラマ
真家宏満
アーラわが君(1969年4月2日 - 1970年3月25日、フジテレビ、全17回)
戦いすんで日が暮れて(1969年、日本テレビ)西郷大一郎役
立花正太郎
雲霧仁左衛門(1979年、フジテレビ)
鬼平犯科帳(萬屋錦之介版)(1980年4月1日 - 9月30日の第1シリーズ、全27話、テレビ朝日)山田市太郎役
峠の群像(1982年、NHK・大河ドラマ)

映画
ジャニーズ
1963.04.18 『下町の太陽』(松竹:大船撮影所)
1965.01.15 『あの雲に歌おう』(東映:東京撮影所)
1966.04.27 『青春大統領』(日活)
1967.04.29 『クレージー黄金作戦』(東宝=渡辺プロ)
1967.11.03 『君は恋人』(日活)
真家宏満
1969.07.05 『ひばり・橋の花と喧嘩』(松竹大船)深作直助役
1970.01.31 『戦いすんで日が暮れて』(松竹大船)西郷大一郎役
1970.07.01 『花の不死鳥』(松竹大船)
1970.09.15 『喜劇 あゝ軍歌』(松竹大船)若者役
1977.08.20 『東京チャタレー夫人』(日活ロマンポルノ)加納達則役
1977.10.22 『杳子』(ゾディアック・コーポレーション、16ミリ映画)杳子の恋人役

ミュージカル
『焔のカーブ』(1965年4月・日生劇場、同年8月・梅田コマ・スタジアム、作・石原慎太郎、音楽・中村八大)
『コマ・喜劇八月公演 夏の踊り~四つの約束~ / 喜劇・青春大騒動』(1965年8月1日 - 26日、梅田コマ・スタジアム)
『宝島』(1966年1月、日生劇場、作・石原慎太郎、音楽・中村八大)
『いつかどこかで~フォーリーブス物語』(1967年6月、大阪フェスティバルホール、脚本・ジャニー喜多川)
『君にこの歌を』

舞台
真家宏満
現代股旅人生・畠山みどり奮闘公演『帰って来た女剣劇~みどりの七変化』
(1979年2月28日 - 3月5日、新宿紀伊國屋ホール)

主なステージ
第18回新春ウエスタン・カーニバル(1963年1月14日 - 21日、日本劇場)
第19回ウエスタン・カーニバル(1963年5月5日 - 12日、日本劇場)
第20回ウエスタン・カーニバル(1963年9月2日 - 8日、日本劇場)
第21回新春ウエスタン・カーニバル(1964年1月14日 - 2月21日、日本劇場)
第22回ウエスタン・カーニバル(1964年5月5日 - 12日、日本劇場)
ペギー・マーチがやってきた(1964年8月26日9月1日、日本劇場)
第23回新春ウエスタン・カーニバル(1965年1月14日 - 21日、日本劇場)
第24回ウエスタン・カーニバル(1965年5月5日 - 12日、日本劇場)
第25回ウエスタン・カーニバル(1965年8月28日 - 9月3日、日本劇場)
ザ・ピーナッツのショーに出演(1965年9月、梅田コマ・スタジアム)
ジャニーズ・ショー(1965年12月22日 - 24日、日本劇場)
第26回新春ウエスタン・カーニバル(1966年1月15日 - 21日、日本劇場)
ジャニーズリサイタル(1966年、日生劇場)
第27回ウエスタン・カーニバル(1966年5月5日 - 12日、日本劇場)
第28回ウエスタン・カーニバル(1966年8月27日、日本劇場)
第29回新春日劇ウエスタン・カーニバル(1967年1月15日 - 21日、日本劇場)
第30回ウエスタン・カーニバル(1967年5月5日 - 12日、日本劇場)
第31回ウエスタン・カーニバル (1967年8月26日 - 9月1日)
ピーナッツ・ホリデイ~ジャニーズと共に!(1967年9月2日 - 8日、日本劇場)
解散コンサート(1967年11月20日、渋谷公会堂)
オールスター・歌の祭典(1969年12月13日、日本劇場)1日限りの再結成ステージ

書籍
中谷良
ジャニーズの逆襲(1989年10月、データハウス)
立花正太郎
ハイ!どうぞ - ジャニーズ・タクシー奮走記(1993年5月、マガジンハウス)


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